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vol.08|山Pさん


今回は、2017年度から2019年度まで千住だじゃれ音楽祭に学生スタッフとして携わり、現在は池袋の東京芸術劇場でプロデューサーのタマゴとしてご研鑽中の【山P】さんにお話を伺いました!

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◆まずは、藝大の大学院を選んだきっかけについて教えてください。


学部生の頃まちづくりを専攻していて、観光まちづくりにもともと興味がありました。

大学卒業を控えて、将来何をしたいんだろう?と思ったときに、やはり音楽に関わりたいなと思って。兄も藝大だったし、音環(東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科)にも、「まち+音楽」というコンビネーションにも魅力を感じていました。特に「音楽の聴き方」みたいなことに関心があって。その中でも当時は、尺八のような日本の伝統音楽の既存の聴き方を変えるようなことに興味があった。そこから熊倉研究室を知り、大学院に入学しました。


◆学部在学中、留学もされていたんですよね?


ウィーンに留学していました。

留学中、ケルントナー通り(オーストリアの首都ウィーンの中心部にある通り)でホットドックを食べていたら、誰かが突然道端でモーツァルトを弾き始めた、ということがあって。もちろんそれまでもモーツァルトの曲を聴いたことは何度もあったけど、モーツァルトの町でモーツァルトの曲を聴いてみて、シチュエーションによってこんなにも音楽の聴こえ方が違うんだと実感しました。

日本に帰ってきてから、一般的な演奏会の構図とは違う上演のしかた、たとえばインスタレーションの構成要素として音楽を位置づけたり、古民家を公演会場として使ったりしているのは、ウィーンでのそういった経験があったからかもしれません。

クラシック音楽出身の僕にとってウィーンはいい街だし、まちづくりの観点からヨーロッパの街並みはとても興味深かった。でもビールも美味しくて、半ばビール留学のようなところもありましたね(笑)。

◆今までお話を伺っていると、だじゃ研とはとても遠いところから入った感じがしますが、どういった経緯で?


そう、そうなの! 実は最初は積極的に関わったというよりは、研究室の学生としてどこかのプロジェクトの運営に関わらないといけなくて。「音まち」の中でも一番音楽をやっていそうなのが「だじゃ研」だったから、担当企画として選びました。こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないけど(笑)。

◆だじゃ研の最初の印象を教えてください。


活動日に初めて参加した日、野村さんから「自己紹介お願いします」と言われて。それで当時の研究テーマや自分の考えをだじゃ研のみんなの前で話したら、その場で野村さんに異議を唱えられたのを覚えています笑。僕はその頃ちょうど、邦楽のオーセンティシティ(真正性)にこだわっていて。「江戸時代に演奏された邦楽しか邦楽ではない」みたいなことを言ったら、野村さんは「現代でも面白い邦楽奏者はいるし、どんどん新しいものが生まれている」とおっしゃっていて、全然賛同してくれなくて、コタさん(現事務局スタッフ)はあたふたして…でもその時に比べたら、野村さんやだじゃ研のおかげもあって、自分の音楽への考えも柔軟になった気がします。

しかも、その日の最後の即興セッションでも野村さんに「山ちゃん発信でやってみよう」って振られて。初対面の人たちの前で、しかも即興演奏する経験もなかったので、それはめちゃめちゃ緊張した!いろんな意味で衝撃でしたね。


ただ、それまで僕は楽譜のある形でしか音楽をやったことがなかったけど、野村さんに「自由にやっていいよ、ここでは間違いは無いから」って言われて、最初は戸惑いましたが、初めて楽譜のない即興演奏をしてみて、何かの縛りから解放される感じがあって、とても気持ちよかったんです。

◆では、その時に感じた違和感みたいなもの、衝撃みたいなものは初回で解放されたんですか?


 違和感とか、そういう感じではなく、、なんというか、いろんな楽器を持ってくる小日山さんとか、だじゃれを連発するチャーリーさんとか、ソリストのように独奏するたけおくんなど、独創的な人がたくさんいて、どういうふうに振舞っていいのかわからなかった…笑。 参加した最初のミーティング、確か「第2回 だじゃれ音楽研究大会」の企画ミーティングだったかな?みんな面白いことを言おうとしてなくて、自然に会話の流れでだじゃれを言い合って笑っていたので、だじゃ研の空気感に最初の方は戸惑いました。自分が、だじゃれを言わなきゃ!と最初に思い込んで、気張っていたのもあったと思います笑。

また、それまで、同年代の人たちと過ごすことが多い環境にいたので、急に色々な人たち、しかもその中でも独特な色を持った人たちに出会った感じでした。

だじゃれ事務局の担当だったとき、だじゃ研メンバーの誰かがどこかのインタビューで言っていたのですが、小学生の横に80代のおじいちゃんがいる環境、いい意味でやばいですね。そのほかには、演奏家もいれば、楽譜読めない人もいて。稀有ですよね。同じ属性の人同士で固まってしまうことが多い中、別々のことに関心を持っている人が同じ空間にいて、一緒に音楽をする環境は本当に貴重なことだと思います。


◆あなたにとってだじゃ研とは?


自分を解放できる場。ルールに縛られない遊び場。ですね。

◆山Pさんがだじゃ研を担当していた3年間は、学生と社会人のはざまで変化の多い時期だったのではと推察します。その中で、ご自身がだじゃ研に影響されたことはありましたか?


自分の世界をちゃんともちたい、と思ったこと。みんなそれぞれ、興味関心を持って突き進んでいる人がだじゃ研にはたくさんいて。小さなことでいいから、何かにこだわりたい、自分も尖りたいと思いました。

だじゃ研の面白がっていることは、すごく小さなことで、でも尖っている。だじゃれみたいに、クスってなるようなこと。でも、そういうようなことって、生きていてあんまりないなと思っていて。普通に生活していて「よし、ちくわを吹こう!」なんて思わないし。「華麗なるカレーづくり」なんて、絶対言わないし。そういう日常の見方を変える面白さを大事にしたいなと思いました。

今、劇場で企画をつくる立場として、枠組みが完成された状態で考える場面も多いけど、小さなことやだじゃれみたいな突拍子もないアイデアから作り上げることも大切にしている気がします。これは確実にだじゃ研の影響ですね。

◆あそび、みたいなことですかね?


そうですね。大人になると忘れてしまうものとしての「あそび」。子どものころ純粋に心から楽しんでいた「あそび」が自分のステータスや見栄と重なってきて、無くなっていたなぁと思いました。大げさなことじゃなくて、自分の日常の中での「あそび」が大切だなと今は思う。そういった「あそび」への純粋さや自分の社会的な殻を破って本当に興味があることに尖っていく、その大切さは、だじゃ研にいなかったら気づかなかったと思います。


◆︎だじゃ研の現場を少し離れた場所から振り返ってみて、どんなことを思いますか?


野村さんやだじゃ研メンバーのように、あの年齢で、ああいうふうに遊んでいるひとたち、あんまりいないですよね。自分で研究して、スピーカー作ったり、すごろく作ったり。アーティストは自由な人が多いけど、それでもみんなアーティストとしての型にはまる。野村さんはもちろん、だじゃ研にあれだけ独特な人たちが集まるのはすごい。みなさんほんとになんの型にもはまらないよね。

あと、野村さんが開催した「りんご」を食べるパフォーマンス(※1)とか、すごい楽しかった印象があって。大きい組織、会社じゃできないこと。クスってなる面白いことが堂々とできるのは、いいですね。こんなこと誰が面白がるの?って普通だったら思ってしまうようなことを共有できるかわいさ。いいなって思います。

あとは、本当に大事なこと以外はギリギリの本番1時間ぐらい前まで決め切らない感じとか。ああいう場所とかってあんまりないですよね。ギリギリまで決めず、本番直前になって即興的に決まっていく空気感、本番になって誰も予想だにしなかったことが起こっていく面白さはだじゃ研でしか味わえないものだったな〜と今思います。

「企画の効果」とか、「社会包摂」とか、「アートとは」みたいなことにこだわらない、さらには音楽っていう領域にさえ縛られないだじゃ研の活動はいいと思います。楽器が演奏できなくても参加できる音楽集団ってすごくない?!

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昨年度でだじゃ研担当を巣立ち、新たな場所でも試行錯誤を続けている山Pさん。ご本人のあゆみとともに、その時々の山Pさんから見ただじゃ研のお話を多角的に伺うことができ、充実したインタビューでした。

ありがとうございました!


※1 野村誠作曲《Apples in the dark or in light》

2020年4月にテレビ会議システム「Zoom」を用いて初演。世界各地から50名ほどが格子状の画面の中に集い、一斉にりんごを丸かじりした。この演奏には、だじゃ研の関係者も何人か参加していた。


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