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vol.10|小日山さん

今回はだじゃ研古参メンバーの1人、小日山さんへのインタビューです。12年間だじゃ研に関わり続けている小日山さん。ご自身の活動や長年関わり続けるなかで感じているだじゃ研の変化についてお話を伺いました。


◆だじゃれ音楽研究会(以下、だじゃ研)にはいつ頃から関わっていますか?

まず、「音まち千住の縁」(以下、音まち)に参加したきっかけは、足立智美さんの企画『ぬぉ』(2011年)の時です。当時、『ぬぉ』の参加者を集めていて、足立区シティプロモーション課の担当者から千住に住んでいる私の友人に声がかかり、それなら小日山だろうということでお誘いのメールがありました。それで、『ぬぉ』の参加者説明会に行ったのが最初です。そして、『ぬぉ』のコンサートが終わったあと、参加者たちは野村誠さんのプロジェクトに参加するということになっていました。野村さんと初めて会ったのは、おそらくその時ですね。『風呂フェッショナルなコンサート』(2012年)で参加者と協働して作詞・作曲するイベントだったと記憶しています。


◆だじゃ研あるいは野村さんの印象はどうでしたか?

まず、自分は野村誠さんのことは以前から知っていました。足立智美さんが東京藝術大学でジョン・ゾーンの集団即興演奏『コブラ』をやったことがあって、自分が学生の頃だから30年ほど前ですね。『コブラ』のワークショップやライブに参加していて、その過程で『現代音楽480分』というクラブイベントに行ったんです。その時に野村さんが鍵盤ハーモニカを吹いていたんです。多分鍵盤ハーモニカ・オーケストラ「P−ブロッ」のメンバーと一緒に。野村さんの最初の印象は鍵盤ハーモニカで変拍子の曲を吹く人、でしたね。


◆小日山さんはだじゃ研に12年間関わっていますが変化を感じたことはありますか?

一番大きな変化だと感じるのは、初期は『ドミノだおし』のようにすでにだじゃれ音楽として作曲されたもので、それを再現してちゃんと見せるものだという意識が強かったように思います。今のだじゃれ音楽は、それよりも何をやってもいいんだ、即興演奏でも場は持つんだ、という強い意識や自信があって、それに加えて段取りとしての曲や野村さんによるコンダクションがあって、野村さんと対等に絡んでいる感じがしています。即興演奏家としての技量と自信をグループとして高めたなと思います。新しく入ってきたメンバーも早い段階で、これでいいのだと確信を持てたりすると思います。


◆その変化に気づいたタイミングはありますか?

活動日(野村さんとだじゃ研との月一回程度の定例的な集まり)で、即興演奏をやるようになった頃からですかね。その後に決定的な変化があったように思います。はじめは、活動日の打ち合わせで時間が余れば野村さんから「即興で音出ししましょうか?」という流れだったのが、ある時からセッションが活動の主になるようになって、セッションの後に打ち合わせをするようになりましたね。で、打ち合わせが終わればまたセッションみたいな笑


◆小日山さんについて改めて伺えますか?

自分は江戸川区でサラリーマン家庭の長男として生まれて、昭和50年頃大谷田団地(足立区)に引っ越してきました。それからはずっと足立区民です。音楽を始めたのは、中学生の時にゴミ捨て場に捨てられていたギターを拾ってきて、自分で修理して弦を張ったのがきっかけです。でも、中学・高校と美術部で、だんだん美術大学を進路として意識するようになりました。それで、2年浪人して東京藝術大学絵画科油画専攻に入学しました。並行してギター演奏とか、エレキギター用のアンプなどを自分で作ったりしていました。藝祭(東京藝術大学の学園祭)のステージにも一人で出演して、即興演奏したり。ほかにもいろんなライブハウスに出演したり、「出演させてくれ」と頼みにいってましたね。大学2年生の頃に、即興演奏だけをしているフリージャズのグループがいると聞いて、そのグループと関わりはじめます。セッションがある日はライブハウスに楽器を持っていき参加する日々を続けていました。でも、ギターやベースを弾いてても物足りなくなって、自分で日用品などを使ったノイズ楽器の制作を始めました。


◆だじゃ研以外の活動について伺えますか?

若い頃からの音楽活動としては、「ニュー・ジャズ・シンジケート」から派生した色々なバンドに参加してライブハウスに出ることが多いですね。「仲町の家ができて、そこに置いてあるギターの整備などを手がけはじめた頃からは、一人でギターを弾くことにも力を入れています。また、「芝の家」や「仲町の家」のように、色々な階層の市民が居場所として集まってくる場所で一緒に音楽をやるという実践も、「音あそび実験室」以来、形を変えながら続いています。尖ったマニアックなこと、実験的なことをやるだけでなく、色々な分野の音楽にゼロから取り組んでいこう、と。


◆小日山さんにとって、だじゃ研とは?

バンドですよ。だじゃれバンドじゃないですか。だってだじゃれ音楽っていうのはジャンルなんだから。ロックバンド、クラシックアンサンブルと一緒ですよ。だじゃれバンド。


◆だじゃ研への参加を考えている方に向けて一言お願いします。

何をやってもいいんで、大丈夫です。一緒に遊びましょう。楽器ができなくても、楽器ができすぎちゃっても大丈夫です。

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だじゃれ音楽祭だけでなく、個人での活動も活発な小日山さん。音楽をはじめたきっかけからだじゃ研の変化のお話まで盛りだくさんのインタビューでした。ありがとうございました!

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