今回はだじゃ研メンバーのご夫妻、梅澤さん・吉村さんへのインタビュー。ダンスとエレキギターの印象的なパフォーマンスで参加されているお二人に、だじゃれ音楽に対する思いを伺いました。
◆だじゃ研には、いつ頃から関わっていますか?
梅澤:足立智美さんの『ぬぉ※1』(2011年)に関わったのが最初ですね。「渋さ知らズ」というフリージャズ系のバンドのワークショップに参加していたときに、そのバンドにいらしたダンサーが足立区出身だったのですが、そのお連れ合いが東京藝術大学音楽環境創造科の卒業生で、そのまた同級生が当時の「音まち千住の縁」に関わっていたようで、足立さんのイベントの案内が回ってきたんです。その後に野村誠さんのプロジェクトのことも知りました。野村さんのことは以前から知っていたので、面白そうだなと思って参加しました。
吉村:だじゃ研がタイに行った後に「国際交流企画第3弾:タイ調査篇 レクチャー&コンサート『熱タイ音楽隊の一週間』」(2016年)があって、梅澤がそれに出演するというので、最初はお客として見にいきました。その時にメンバーを募集していたので、入りますと申し出たのを覚えています。
◆野村誠さんの印象はどうでしたか?
吉村:第一印象は、いわゆるサラリーマンという種族とは全く違う生き方をしてきた “遊び人” 。サラリーマンにとっては憧れですよね。縛られてないなって。
梅澤:私は野村さんが出演していたNHK番組「あいのて」もたまたま知っていたし、ライブも見たことがありました。だじゃ研に入って、野村さんが熱血で情熱がある人だと思うようになりましたね。
◆だじゃ研に参加してみていかがでしたか?
梅澤:最初のうちはだじゃれを言うのは得意じゃなかったし、全然思い浮かばなかったんですよ。ただ、だじゃ研に参加すると、なんだかよくわからないけど、何だろう、これは? みたいな感覚がずっとあって、また行ってみようってなるんです。いろんな人がここに参加していて、音楽経験もさまざまですし、だじゃれをすごく言う人もいれば、全然言わない人もいて、そんないろんな人が同じ団体にいても成り立つ状況が不思議だなぁって思いながら参加しています。
吉村:譜面がないじゃないですか、この活動には。その縛りがないところが長く続く秘訣かなと思いますね。何月何日の活動日までにこの譜面をやらなきゃいけないってなると、ちょっと襟を正さなきゃいけない。でも、楽器を持っていって、始めるよ〜って突然始まっても、なぜか音楽として成立しちゃいますからね。きっと、一人ひとりが自分はこうやりたい! というのが頭の中にあるから音が出せるんですよね。それがひとつの塊になったときに、音楽ができあがってるんだなと感じます。
◆これまでの活動を通して、だじゃ研の印象やその変化などはありますか。
吉村:何かひとこと言うと、そこから何かが始まるっていう印象がありますね。入って最初の「第3回 だじゃれ音楽研究大会」(2018年)の数日前に、「ボロボロボレロ」をやりたいって無茶なことを言って……ボレロの旋律の間にだじゃれをぶっ込んでいくものなんですけど。
梅澤:みんなでやってみたけれど全然駄目で、ちょっとこれは本番ではできないかなという感じでした。でも本番前日ぐらいのリハーサルでもう1回やってみて、もしかしたら何とかなるかもしれないという話になったんですよね。当時学生スタッフだった山Pさんのフルートのすごい綺麗な旋律があって、そこから崩れていくっていう落差が強かったなと思います。
吉村:山Pさんがいい仕事しましたよね(笑) 本番のあと、熊倉先生※2によかったわよって言われて、あぁ、やって良かったぁと達成感があって、これはもう続けようっていう気になったんですよね。だじゃ研は、野村さんが中心になってやっているわけですが、誰のアイディアでもそれが良ければ成立しちゃうっていう、そこがいいところですよね。
梅澤:とりあえずやってみるという感じがありますね。でも最初からそんな感じではなかったような気もします。年数が経ってきて、いると安心する場という感じになってきて。最初は野村さんを筆頭にだじゃ研のメンバーがいる感じだったのが、だんだんと野村さんとだじゃ研のメンバーも近づいてきて、ひとつの団体としてのだじゃ研がだんだん強くなってきたように思いますね。
吉村:そういう母体があることが大事ですよね。ここが崩れちゃうと、これから先、何やっていくかっていうこと自体も前に進んでいかないから。そこはやっぱり「ボロボロ」じゃだめです!
◆だじゃ研の演奏やセッションで意識していることはありますか。
梅澤:みんなどんなことをやってるのかなっていうのを観察しつつ、ですね。自分がそこで目立っていっぱい音を入れるというよりは、「隙間を縫う」みたいな感じでいつもやってますね。
吉村:間だったり、呼吸だったり、耳を凝らしてまわりの音を聞いています。あと、自分の楽器に集中するということも大事です。何を聞かせたいか何を見せたいかっていうのを、この楽器に込めるしかないっていうことは考えています。
◆普段のお二人の活動についても伺いたいのですが、音楽に携わるようになったのはどのようなきっかけだったのでしょうか。
吉村:リーマン・ショックのあおりで会社をリストラされたんです。それで転職したら、今度は定時が早い仕事だったので、何かできないかな、歌を歌いたいな、歌詞を書いてみようか、フリーのセッションライブとかあるかなと思いはじめました。調べていると、インプロのセッションがたまたま高円寺にあって、それでやりはじめたんです。自分の歌詞を叫びながら朗読したりして。そのうち朗読だけでは手持ち無沙汰になって、独学でギターを始めました。
梅澤:踊りを始める前にも音楽はちょこちょこやっていたんですけど……小学生のときにピアノを習ったり、中学のブラバンでクラリネットを吹いたり。それから音楽は聞くばかりだったのですが、CDショップで働いていたとき、働きながら音楽をやる人たちの練習を見学するようになりました。その中にジャンベをやっている方がいて、自分でもやってみたいなと思いワークショップに行くようになって。その頃に参加した、太鼓とダンスのワークショップを一緒に受けられるイベントがあって、初めてアフリカンダンスをやってみたら、楽しいな、身体を動かすのは気持ちいいなと思って……だんだんダンスに興味を持ちはじめました。それとは別に、当時仲間たちで障がいのある人たちと一緒に即興音楽をやったりもしていました。彼らがすごくリズムに乗って踊るのを見ていて、踊るっていう行為は何だろうと考えるようにもなり、その両面から踊りの方にも興味が湧いてきました。
◆だじゃ研での経験が、だじゃ研の外で活きたことはありますか。
梅澤:いろいろな年代やいろいろなバックグラウンドを持つ方が来ているので、だじゃ研以外の活動のときも、誰とでも接するのに全然抵抗がなくなりました。
吉村:こういうパフォーマンスは別の形でも使えるかもしれないというような発想のヒントになっていると思います。そうなるのは、やっぱり野村さんの柔らかい頭のおかげかな。
◆お二人にとってだじゃ研はどういうものですか?
吉村:私にとって、だじゃれ音楽はひとつの “サイドメニュー” なんです。ちゃんと試食すれば、自分の活動に厚みができるかな、と。日常の延長線上に活動があって、参加すれば何かひとつでも持ち帰れるものがあると思うからずっと続いてるわけで、そこはすごく大事。マンネリじゃないんですよ。
梅澤:私は家族や友達に会いにいく場みたいな、そういう感覚かもしれない。
◆だじゃ研を知らない方にひとことメッセージをいただけますか。
梅澤:まずは音楽を堅苦しく考えず、体験してほしいなって思います。
吉村:何でもいいから一発、音入れにきてください、それで十分です。
◆来たるべき『千住の1010人』に向けた意気込みを聞かせてください。
梅澤:(2014年の『千住の1010人』のとき)いろんな人が、バラバラのようでどこか同じものでつながっている、同じ目的で存在しているのがすごく楽しかったので、またいろんな要素を持った人たちがひとつの目的に向かって共存しているという、何か胸が熱くなるような体験をしたいと思います。
吉村:意気込みというより、そこにいることが大事だと感じます。1010人の名もなき1人じゃなくて、確かにそこに存在した1人になりたいです。
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※1 ぬぉ:足立智美が、足立区の足立市場でのコンサートのために作曲した『ぬぉ チューバと自動車と器楽、合唱のための魚市場、ねぎま鍋付』。公募で集まった約64名の器楽、合唱、チューバ隊が、“あだち”を基調とした音を奏でた。
※2 熊倉先生:音まち千住の縁のプロデューサー。東京藝術大学教授。
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